翼を広げた黄色い鷲が舞い降りた
美しいサッカーがそこにあった。
まるでバルセロナのサッカーのように前線の3人が果敢にプレスをかけ、そしてボールを奪取するや果敢にゴールに迫る。
シュートで終わろう!
そんな意識が全員に満ち溢れていた。
形はなんともシンプル。
いままでのように「サイドを基点に」なんて刷り込まれたパターンから脱却して、シンプルにボールは回り、ゴールを奪う。
アレックスに集まるボールは右左と自由にさばかれ、ピッチを大きく使った黄色い戦士が駆け上がる。
俯瞰気味で見ていた狂人には、黄色い鷲が翼を大きく広げ相手ゴールに邁進するように見えた。
ボールの傍には必ずサポートの選手が寄り添い、数的優位を至るところで作り出す。
堰きとめられていた激流が堰を割って噴出したかのような怒涛の3ゴール。
そのゴール全てに強さは感じられない。
なぜか、全てが当たり前のような優しさに満ちていた。
昨シーズンよりレベルアップを望んだチームの姿が今日はっきりと目にすることが出来た。
それが何より嬉しい。
試合前、緑のユニフォームに身を包んだディエゴを見たとき、複雑な心境だった。
先日もエントリーしたように、ディエゴが怖かった。
ゴールされることが怖いのではなく、ゴールに喜ぶ姿に「ディエゴはレイソルの選手ではない」ことを確認するのが怖かった。
しかし、怒涛の3ゴールの前にディエゴのチームは黄色い鷲を見上げるだけの単なる旅人に過ぎなくなった。
遥か高い天空を悠々と飛び回る姿を呆然と見送るだけの旅人である。
それに贖おうとしているディエゴがいた。
懸命にチームに指示を出し、修正を施そうとするその姿。
J2時代のディエゴを知る者にしたら、それは悲しい出来事でもあった。
あれだけ走らないDF。
あれだけ個人技のみに頼る戦術。
そこに、あれだけ嬉々としてサッカーの楽しさを体現していたディエゴがいることに悲しくなった。
間近で見た経験から断言すれば、土屋はあの時のレイソル時代ほど必死でなかった。
もはやヴェルディはかつてのヴェルディではないことを痛切に感じた。
今日のMVPはパンゾーに他ならない。
ポジショニングもさることながら果敢にボールを奪い、今までなかった前線への飛び出しも目立った。
先日のオリンピック代表候補召集コメントで「明日のヴェルディ戦のことしか考えていない」とコメントした意気込みそのままがプレーに現れていた。
狂人には誰よりも光って見えたプレーヤーだった。
さて、今日のゲームをみて石崎監督のいうポポのフィット感というのが分かった気がする。
つまり奪った後の攻撃でどうしても一歩二歩先に進みすぎているのである。
あそこでボールを奪われると、カウンターの危機が生じる。
しかし次郎がなかなか良いポジショニングをしていてくれたので、その危機は未然に防げた感がある。
アレックスのフィット感は良いように感じた。
だがフランサが戻り、茂原が戻ったとき、このチームはいったいどれだけ攻撃の基点をチームに持つことができるのかと考えるとブルブルっと震えがきた。
アラウージョ、フェルナンジーニョ、大黒将志を擁したガンバ大阪の時のような超攻撃的サッカーが想像できるからだ。
バルセロナのような攻撃的サッカー、そこにカンプ・ノウのような熱狂的な日立台がそれを支える。
いつの日か、人は今日の日をレイソル伝説の始まるの日と呼ぶかもしれない。
そこに居合わせた狂人は幸せ者であり、「雨かもしれない」「負けるかもしれない」「夜のゲームだから」なんて理由で日立台に集わなかったものは一生後悔するだろう。
今日の日立台を見ずして死ねるか?
狂人は見たから安心して死ねる。










